■2003/07/12(土)ダライ・ラマ窮地に立つ
中共とインドはネパールとミャンマー(ビルマ)でつばぜり合いをしていると判断していたが、インドのほうがやや不利な状況にあったことはたしかだ。ネパールでは国王一家の惨劇以降もつづく不安定、ミャンマー(ビルマ)では軍事政権下の欧米からの制裁措置が両国における中共の進出を容易にしてきた。
(引用開始)
中印「戦略的接近」鮮明、米に対抗「多極化」目指す (読売新聞)
2003年6月26日(木)1時29分
【北京=竹腰雅彦】バジパイ・インド首相の10年ぶりの訪中では、インド側がチベット自治区を「中国の領土の一部と認める」(中印全面協力宣言)など懸案の国境問題で進展が見られ、双方合わせて世界人口の3分の1を占めるアジアの2大国の「戦略的接近」(外交筋)を印象づけた。
中印両国はそれぞれロシアへの接近も進めており、米国の突出した一極支配に対抗する世界政治の底流と言える。
両国が合意した分野は多方面に及ぶが、最も注目すべきは、国境問題。特にチベットについて、インドは協力宣言の中で「中国領」と認めた。1988年12月にインド首相として34年ぶりに訪中したラジブ・ガンジー首相(当時)が同様の発言をしているが、新華社電は「初の文章による承認」と意義を強調した。
一方、チベットに隣接し、中国が「独立国」とみなす、インド北東部のシッキムについて、タイムズ・オブ・インディア紙などインドメディアは、今回中印がチベット―シッキムの「国境貿易促進」で合意したことに注目し、中国が事実上シッキムをインド領と承認したとの見方を伝えた。
このため「シッキム承認は、チベット承認の見返り」との見方も出たが、中国外務省の孔泉・報道局長は24日の定例会見で、「完全に性質が異なる問題」と否定した。このほか中印両国は、国境問題で「特別代表」を任命し、問題解決のための枠組み作りを検討することになった。
中印間の未画定国境は、両国関係改善の障害だったが、両国は、「正常な関係発展に影響を与えないようにすべきだ」(温家宝首相)との認識で問題解決を先送りし、まず実利面での関係強化を急ぐことになった。
また中国が米国への対抗上追求する国連外交の分野では、中国側が、将来のインドの安保理常任理事国入り支持を示唆し、インドもこれにこたえる形で国連強化に賛同、両国が、国連を足場に米国に対抗する「多極化世界」実現を目指していることをうかがわせた。
経済関係では、協力宣言で「協力促進」がうたわれたにとどまったが、「世界の工場」を目指す中国と、情報技術(IT)で実力を増すインドの関係強化は、世界の脅威になる可能性がある。
◆シッキム=17世紀以降、チベット族の王国があったが、1890年、清朝と英国が締結したシッキム条約で、英国の保護国となった。インド独立後、インドの保護国になり、1975年には同国の一州に編入、王政も廃止された。住民はネパール系が主。紅茶ファンに珍重されるシッキム茶の産地としても有名。
(引用終了)
アメリカの対ムスリム・対テロシフトは、インドと中共にも影響を与えた。パキスタンと敵対するインド、ウイグルを抱える中共にとってその影響はイーブンであるが、海上ルートの掌握のためアメリカはインドとの同盟に傾くであろうから、ややインド有利かと思っていた。
だからこそこの中印和解は意外であった。さながらニクソン訪中ぐらいのインパクトを持ってくるのかもしれない。
しかも政治的にはインドが大幅譲歩・敗北と云っても差し支えない。インドは中共のチベット実効支配を容認したのに対して、中共はインドのシッキム実効支配に言質を与えていないのである。
さらに打撃を受けたのはチベットの指導者ダライ・ラマ14世にほかならない。チベットの独立は遥か遠くなってしまった。
そしていつもの皮肉を言わせてもらうならば、日本の平和主義者はこの問題に反米にかけるだけの同じ労力をかけることはない。チベット人は故地を逐われ帰ることもできない。残った者は迫害のもとにいる。政治的弾圧という負の側面においてチベットはイラクとなんら遜色はないというのに。