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■ぼくらは戦争を待っている(ログ)
2002/11/05から2003/08/15まで連載するも、Lycosサーバの消滅とともに終了した日記またはエッセイ(小論文)。



■2003/04/05(土)バグダッドの門は開いた

ここ24時間は目が離せない戦況になった。

(引用開始)
<イラク戦争>早朝から始まった米軍の首都侵攻、午後は平静に (毎日新聞-全文)
2003年4月5日(土)21時11分
 【ワシントン藤原章生】20両ほどのM1戦車と10台のブラッドレー装甲戦闘車からなる米軍部隊がバグダッド南郊から市南部の「偵察」に向かったのは5日早朝だった。ロイター通信によると、市中心部から南に12〜14キロ離れたダウラ地区が目標で、隊列はバグダッドに通じる国道を一気に北上した。しかし、ダウラ地区に差し掛かっても隊列は停止しなかった。部隊はそのままチグリス川が大きく蛇行する市街地に侵攻した。
 米FOXテレビが「米兵がバグダッドの中心街に入った」との一報を伝えたのは現地時間5日午前11時(日本時間同日午後4時)ごろ。その直後、米CNNテレビは米陸軍第3歩兵師団に従軍している米アトランタ・ジャーナル紙のロン・マルツ記者の情報として「米軍の機甲師団がバグダッド南部に入り、イラク軍のロシア製T72型戦車34両を破壊した」と報じた。
 同記者はCNNの電話インタビューに、「師団は午前6時ごろ出発し、偵察という任務で市内に入った」と語ったが、従軍ルールで報道が制約されているため出発地点は明かさなかった。同記者は「市内ではイラク兵や市民が戦車に飛び掛かって死亡する場面を目撃したと」とも報告した。
 米中東軍のフランク・ソープ広報官はアッサイリヤ基地(カタール)で「かなりの数の米軍部隊がバグダッドに入っている」と報道陣に語った。また、ロイター通信は午前11時20分過ぎ、ソープ広報官の話として、米軍が同日午前、バグダッド市内で、フセイン大統領への忠誠心が最も強いといわれる特別共和国防衛隊と衝突したとの情報を配信した。
 地上戦が起きた時間は不明だが、AFP通信は国道沿いのイラク人電気技師の話として「戦闘は午前5時から8時まで続いた」と報じている。南部からの機甲師団とは別に、南東部から海兵隊の第1海兵遠征軍の部隊が市内に入ったとの情報もある。
 米軍の侵攻に先立ち、バグダッド中心部では早朝、5回にわたって大きな爆発音が響いた。米軍機の空爆と市東部からの砲撃によるものと伝えられる。標的の一つは大きな電信電話センターだったという。ロイター通信のバグダッド特派員は「おびただしい量のミサイルや巡航ミサイルが市内に撃ち込まれた。前夜からけさにかけ戦闘は今回の戦争で最大規模のものだ」と伝えている。
 午後に入って、バグダッドは平静さを取り戻した。市街地に侵攻した機甲部隊は、まもなく市の南西部で前日米軍が制圧したばかりのバグダッド国際空港に向かった(ロイター通信)という。CNNテレビが映し出す中心街の光景は普段と変わりなく、一般市民のものとみられる乗用車が行き来していた。
 午後1時前に生中継で会見したイラクのサハフ情報相は「米軍の進軍を我々は一掃した」と語った。一方、ソープ広報官はこの日の米軍の作戦について「昨日のイラク情報相の発言から、彼ら政権幹部がバグダッド中心部にいない可能性が高いとの判断が下された」とCNNテレビに語った。さらに「情報相が米軍の位置をバグダッドから160キロと言うなど、イラク政権が情報を入手できない状況にあると判断した」とも述べ、米軍による電撃作戦がイラク側のこれまでの記者会見の内容を分析したものであることを示唆した。
[毎日新聞4月5日] ( 2003-04-05-21:11 )
(引用終了)
威力偵察大隊の規模の可能性が高い。イラク軍の指揮系統はアメリカ側の云うとおり弱体化しているか、もともと指揮能力が低いのか。

二度の戦争(イラン・イラク戦争と湾岸戦争)を経ているわりには近代戦に対しての能力が低すぎる。これが中東戦争でも垣間見られたアラブ人的傾向なのか。

市街戦をおこなうなら幹線道路の封鎖、橋脚の爆破などの準備がない。結局戦車戦も首都近郊ではなく南下したとの話がある。広いところに出過ぎると地の利が生かせない。

これで政治的にサダム・フセイン政権が死に体になったことをアピールできる。あとは政権の正統性をどうアメリカが継ぐかという問題だが、やはり和平ではなく革命方式になるのだろう。

イラク人が戦後の政治参加を有利にするためにはサダム・フセインに対するレジスタンスをアピールする必要がある。イタリア人がムッソリーニとその愛人を逆さづりにしたように。かつアメリカ支配後のイラク人は、サダム・フセインの弁護を歴史的スパンから考慮してやらねばならない。

【追記】2004/09/01(水)
イラク戦争はいつ始まり、いつ終わったのか?

2003年3月19日(いずれも米国東部時間)に米英軍が空爆開始、戦争の始まりはフセイン大統領(当時)暗殺を意図した爆撃だったが、失敗に終わった。
2003年4月11日にバグダッドが陥落、米国はフセイン政権の崩壊を発表した。
2003年5月1日に米国はイラク戦争の戦闘終結宣言、カリフォルニア州サンディエゴ沖を航行中の米空母エーブラハム・リンカーン艦上でブッシュ大統領が宣した。これが事実上の戦争の終わりとなった。

戦争は政治外交の延長であるから、対戦国の政府そのもの(首都)を打倒(陥落)してしまうと、戦争は終わらず(講和条約を結べず)、泥沼のゲリラ戦に陥りやすい。支那事変における南京陥落からそれ以後の長期化、米墨戦争におけるメキシコシティー陥落が好例である。

戦争の終わりどきを考慮すれば、対戦国の新政府(革命政府)が成立するのを待って講和条約を結ぶ方がいい。勝者はゲリラ戦に巻き込まれる危険もなく、新政府(革命政府)は敵からその国を支配する正統性(レジティマシー)を与えてもらえるからだ。普仏戦争における第二帝政の崩壊から第三共和政の成立までと、第一次大戦におけるブレスト=リトフスク条約が好例。

アメリカは歴史に学ばなかったと云うよりは、暴君を倒すのだ(革命)という観念の方が勝ったのだろう。独立戦争以来の伝統か。また南北戦争以来、相手に無条件降伏(これも革命)を要求するのも伝統であり、これは欧州の外交センスからは逸脱しているのも事実だ。


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